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SIGMAモノフェローズ セミナーレポート SIGMAが生き残った理由編 [みんぽす]
遅れてしまいましたが、SIGMA×みんぽすスペシャルセミナーに参加してきましたので
レポートをお届けしたいと思います。
今回のスピーカーは、なんと!SIGMAの山木社長!!
今回のセミナーは、なぜSIGMAという会社が生き残ってきたかという点についての
お話です。
◆シグマの歴史
レンズ交換式のカメラを使い始めて、まだ日が浅いというか・・・
まだまだ初心者レベルなので、どうしてもαシリーズを使っていると
ソニー純正品を使いたくて、他のメーカーのα用製品を使った事がないのですが。
なので、ソニー以外からα用のレンズが出ているなんて、ぶっちゃけ知りませんでした(汗)
すべて、モノフェローズになったおかげです。
というわけで、SIGMAはα用のレンズも作ってる貴重な会社。
1961年設立で、当時はレンズメーカーが50社以上もあったのに、淘汰されて
今はタムロンなど4社ぐらいしか残ってないとか(汗)
(レンズメーカーが50社存在できた事自体が驚きですが)
他社との差別化を常に意識し、コストや開発の自由度を上げるために
常に内製でやってきたようです。
50年も内製だけって、逆によくやってこれたなぁと感心します。
自社ブランドへの愛と、ぶれない事業戦略。こういう芯がしっかりしている企業って
今では珍しいのでは?50年生き残るわけですよね。
では、生き残った理由を3点に絞って説明してくださったので、
カンタンにまとめてみようと思います。
全国の社長さん、必見ですよ(笑)
◆自社ブランドを築いたレンズ達
まずは、自社ブランドを確立に貢献したレンズのお話です。
創業時のヒット商品といえば、2倍のテレコンバータだったようです。
当時はフロントコンバータしか存在してなかったようです。フロントだとレンズ専用になり
汎用性がなかった。
会長の山木氏によって、汎用性の高いテレコンをSIGAMAが初めて開発したようです。
しかし、特許を取るのを忘れて、他社に真似されたとか(笑)
創業時の苦しい時のヒット商品で、これが自社ブランド商品の先駆けとなったようです。
他には、レンズ内にフィルターを3枚内蔵しているフィルターマチックレンズや、
望遠だけど、被写界深度を稼いで楽しい絵を撮れる
パンフォーカス+テル(テレ=望遠)=パンテルレンズなどなど。
あと、ミニズーム39-80 F3.5 1975。
50mmレンズが基本だった当時に、コンパクトでズームの必要性をアピールしたレンズ。
逆に今じゃズームレンズの方が標準なので、ぴんと来ませんが、単焦点全盛の時代に
ズームの重要性を唱えたSIGMAってスゴくないですか?
ただし、このレンズは生産が難しかったようで、売れるんだけど売れないといった悲劇が(汗)
子供の頃に社員が嘆いてた事を山木社長が覚えてたとか。
子供の頃にそんな話を覚えてるだなんて、よほどカメラが好きで、親や社員とレンズと共に
過ごしたんでしょうね。なるほど、親のスピリッツが受け継がれてるわけですよ。
ズームガンマ21-35mm F3.5-4 MF 1979。
SIGMAは広角ズームレンズのパイオニアなんだそうです。
当時は広角レンズは単焦点しかなかった。
創業当時の社員の親が山岳写真家だったようで、そこに広角へのこだわりが誕生します。
山だと広角が生きるので、当然登山には広角レンズを持って行く。
山岳写真家は荷物をいかに減らすかがポイント。
山岳部出身なので、この辺の話は良くわかります(笑)
当時は単焦点だったので、焦点距離の違う広角レンズを複数持って行く必要があった。
しかし、広角でズームできるレンズなら、1本で済んでしまう。
そうすれば、レンズの荷物が減った分、食料などを持って行ける。
このように使用シーンや使い手の気持ちを理解した創業メンバーのこだわりが
込められているのが広角レンズ。
今でもこのDNAは受け継がれている。
こうして、自社ブランドが確立されたんですね。
◆他社とは違うレンズ 撮影可能領域の拡大
他社との差別化を図ったレンズの説明です。
オーソドックスなレンズを最近は作っているが、独創的なレンズもちゃんと作ってる。
・200-500mm 望遠レンズ
50-500 標準から望遠までカバーする無敵のレンズ
ソニーだと、500mmレベルだと単焦点のレンズしかありません。
・300mm F28
超広角、フィッシュアイ、
・70mmマクロ 性能が高いレンズ。カミソリマクロ
αレンズでも100mmマクロのレンズがありますが、望遠なので、ちょっとした動きでも
けっこうブレてしまって、ピントを合わせるのが難しかったんですよね。
70mmなら扱いやすい上に、ちょい望遠気味なので、おいしいどこ取りのレンズかも?
こうして見ると、確かにαレンズと被っているレンズはなく、初めて聞く焦点距離のモノが多い。
となれば、SIGMAのレンズを買うしかないわけで、うまく差別化が出来ていますよね。
◆国内製造拠点
円高でコストを抑えるために海外生産に乗り出さず、あえて国内に踏みとどまった理由は?
全国の社長さん、必見です(笑)
レンズの生産は海外工場では作らず、すべてメイドインジャパン。
これはコシナとSIGMAのみ。
リストラをせず、国内製造に踏みとどまり、何を出来るかを話し合った結果です。
では国内に踏みとどまった理由は何か?
コストが安い海外工場だと、光学技術者が企画しても、工場の生産の都合で
NGが出る場合があるが、自社工場だと、そういう事が無く、設計できる。
金型を自分たちで作る事でコストダウンし、時間短縮もできる。
おかげで素早い試作が出来て、これが開発の競争力をアップしている。
この資産を活かした形のビジネスが大事だと山木社長は意識して、仕事をしている。
しかし、世界は大不況。
まず1995年。
歴史的な超円高。利益率がかなり下がったので、海外展開をするか悩んだ。
他社は本格的な海外進出をするが、SIGMAは踏みとどまる。
さらに2008年。
リーマンショックで超円高。海外展開をするか悩んだ。
他社はリストラの嵐。海外にするか?どうするべきか悩んだ。
このとき、生き残るためにどうするか社員と一緒に検討したようです。
何が出来るかを話し合った結果、リストラせず、社員、リソースを活用して、
腹をくくって、良い物を作る事を覚悟して、最高品質を目指す事にしたようです。
これはとても素晴らしいですよね。他社でしたら、まずはリストラですからね。
もちろん、必要になってしまう事があるかもしれません。
しかし、ユーザーにとって、リストラやスタッフ変更で、商品がどう変わるかは
全くわかりません。
社外だけでなく、社内でも不安の嵐が吹き荒れれるだけ。
山木社長の、どう活用すべきか?を突き詰める姿勢が素晴らしいと思います。
ヒューマンリソースを含めて、資産の活用の仕方が下手な会社が多いと思います。
きっと、これは山木社長のように、何が出来るかを真剣に話し合ってない結果なんだろうなと。
多くの社長は、山木社長の下で一度研修した方が良いかも?(笑)
さらに社内プロジェクトの見直しもしたようです。
まずは設計企画の見直し。多少妥協を含めたレンズを作っていたが、これを止めた。
妥協せずに良い物を作り、出来れば業界最高峰のモノを作る事に。
他社より劣る場合は却下という厳しい姿勢。
あとは、ゴーストフレアの自社開発。
逆光に弱いと言われるので、ゴーストフレアのみを担当者を置き、徹底的に対応した。
制作の段階で、何回もゴーストフレアのチェックを入れて、逆光の強さを補強した。
このように弱点を克服するばかりか、最高品質を目指すという徹底ぶり。
SIGMAが生き残った理由は、色々あると思いますが、山木社長の話を直接聞く事で
納得するだけでなく、感じる事も出来ました。
山木社長には、今後もぶれることなく、SIGMAの貴重な資産を活かして頑張って欲しいです。
社長の爪の垢パックでも売り出してはどうでしょう?飲ませたい社長がたくさんいます(笑)
というわけで、長くなったので、次回に続きます。
レポートをお届けしたいと思います。
今回のスピーカーは、なんと!SIGMAの山木社長!!
このレビューはWillVii株式会社が運営する国内最大級家電・ゲームレビューサイト「 みんぽす」のモノフェローズイベントに参加して書かれています。本レビュー掲載によるブロガーへの報酬の支払いは一切ありません。レビューの内容につきましてはみんぽすやメーカーからの関与なく完全に中立な立場で書いています。(唯一事実誤認があった場合のみ修正を行います)「モノフェローズ」に関する詳細はこちら。(WillViii株式会社みんぽす運営事務局)
今回のセミナーは、なぜSIGMAという会社が生き残ってきたかという点についての
お話です。
◆シグマの歴史
レンズ交換式のカメラを使い始めて、まだ日が浅いというか・・・
まだまだ初心者レベルなので、どうしてもαシリーズを使っていると
ソニー純正品を使いたくて、他のメーカーのα用製品を使った事がないのですが。
なので、ソニー以外からα用のレンズが出ているなんて、ぶっちゃけ知りませんでした(汗)
すべて、モノフェローズになったおかげです。
というわけで、SIGMAはα用のレンズも作ってる貴重な会社。
1961年設立で、当時はレンズメーカーが50社以上もあったのに、淘汰されて
今はタムロンなど4社ぐらいしか残ってないとか(汗)
(レンズメーカーが50社存在できた事自体が驚きですが)
他社との差別化を常に意識し、コストや開発の自由度を上げるために
常に内製でやってきたようです。
50年も内製だけって、逆によくやってこれたなぁと感心します。
自社ブランドへの愛と、ぶれない事業戦略。こういう芯がしっかりしている企業って
今では珍しいのでは?50年生き残るわけですよね。
では、生き残った理由を3点に絞って説明してくださったので、
カンタンにまとめてみようと思います。
全国の社長さん、必見ですよ(笑)
◆自社ブランドを築いたレンズ達
まずは、自社ブランドを確立に貢献したレンズのお話です。
創業時のヒット商品といえば、2倍のテレコンバータだったようです。
当時はフロントコンバータしか存在してなかったようです。フロントだとレンズ専用になり
汎用性がなかった。
会長の山木氏によって、汎用性の高いテレコンをSIGAMAが初めて開発したようです。
しかし、特許を取るのを忘れて、他社に真似されたとか(笑)
創業時の苦しい時のヒット商品で、これが自社ブランド商品の先駆けとなったようです。
他には、レンズ内にフィルターを3枚内蔵しているフィルターマチックレンズや、
望遠だけど、被写界深度を稼いで楽しい絵を撮れる
パンフォーカス+テル(テレ=望遠)=パンテルレンズなどなど。
あと、ミニズーム39-80 F3.5 1975。
50mmレンズが基本だった当時に、コンパクトでズームの必要性をアピールしたレンズ。
逆に今じゃズームレンズの方が標準なので、ぴんと来ませんが、単焦点全盛の時代に
ズームの重要性を唱えたSIGMAってスゴくないですか?
ただし、このレンズは生産が難しかったようで、売れるんだけど売れないといった悲劇が(汗)
子供の頃に社員が嘆いてた事を山木社長が覚えてたとか。
子供の頃にそんな話を覚えてるだなんて、よほどカメラが好きで、親や社員とレンズと共に
過ごしたんでしょうね。なるほど、親のスピリッツが受け継がれてるわけですよ。
ズームガンマ21-35mm F3.5-4 MF 1979。
SIGMAは広角ズームレンズのパイオニアなんだそうです。
当時は広角レンズは単焦点しかなかった。
創業当時の社員の親が山岳写真家だったようで、そこに広角へのこだわりが誕生します。
山だと広角が生きるので、当然登山には広角レンズを持って行く。
山岳写真家は荷物をいかに減らすかがポイント。
山岳部出身なので、この辺の話は良くわかります(笑)
当時は単焦点だったので、焦点距離の違う広角レンズを複数持って行く必要があった。
しかし、広角でズームできるレンズなら、1本で済んでしまう。
そうすれば、レンズの荷物が減った分、食料などを持って行ける。
このように使用シーンや使い手の気持ちを理解した創業メンバーのこだわりが
込められているのが広角レンズ。
今でもこのDNAは受け継がれている。
こうして、自社ブランドが確立されたんですね。
◆他社とは違うレンズ 撮影可能領域の拡大
他社との差別化を図ったレンズの説明です。
オーソドックスなレンズを最近は作っているが、独創的なレンズもちゃんと作ってる。
・200-500mm 望遠レンズ
50-500 標準から望遠までカバーする無敵のレンズ
ソニーだと、500mmレベルだと単焦点のレンズしかありません。
・300mm F28
超広角、フィッシュアイ、
・70mmマクロ 性能が高いレンズ。カミソリマクロ
αレンズでも100mmマクロのレンズがありますが、望遠なので、ちょっとした動きでも
けっこうブレてしまって、ピントを合わせるのが難しかったんですよね。
70mmなら扱いやすい上に、ちょい望遠気味なので、おいしいどこ取りのレンズかも?
こうして見ると、確かにαレンズと被っているレンズはなく、初めて聞く焦点距離のモノが多い。
となれば、SIGMAのレンズを買うしかないわけで、うまく差別化が出来ていますよね。
◆国内製造拠点
円高でコストを抑えるために海外生産に乗り出さず、あえて国内に踏みとどまった理由は?
全国の社長さん、必見です(笑)
レンズの生産は海外工場では作らず、すべてメイドインジャパン。
これはコシナとSIGMAのみ。
リストラをせず、国内製造に踏みとどまり、何を出来るかを話し合った結果です。
では国内に踏みとどまった理由は何か?
コストが安い海外工場だと、光学技術者が企画しても、工場の生産の都合で
NGが出る場合があるが、自社工場だと、そういう事が無く、設計できる。
金型を自分たちで作る事でコストダウンし、時間短縮もできる。
おかげで素早い試作が出来て、これが開発の競争力をアップしている。
この資産を活かした形のビジネスが大事だと山木社長は意識して、仕事をしている。
しかし、世界は大不況。
まず1995年。
歴史的な超円高。利益率がかなり下がったので、海外展開をするか悩んだ。
他社は本格的な海外進出をするが、SIGMAは踏みとどまる。
さらに2008年。
リーマンショックで超円高。海外展開をするか悩んだ。
他社はリストラの嵐。海外にするか?どうするべきか悩んだ。
このとき、生き残るためにどうするか社員と一緒に検討したようです。
何が出来るかを話し合った結果、リストラせず、社員、リソースを活用して、
腹をくくって、良い物を作る事を覚悟して、最高品質を目指す事にしたようです。
これはとても素晴らしいですよね。他社でしたら、まずはリストラですからね。
もちろん、必要になってしまう事があるかもしれません。
しかし、ユーザーにとって、リストラやスタッフ変更で、商品がどう変わるかは
全くわかりません。
社外だけでなく、社内でも不安の嵐が吹き荒れれるだけ。
山木社長の、どう活用すべきか?を突き詰める姿勢が素晴らしいと思います。
ヒューマンリソースを含めて、資産の活用の仕方が下手な会社が多いと思います。
きっと、これは山木社長のように、何が出来るかを真剣に話し合ってない結果なんだろうなと。
多くの社長は、山木社長の下で一度研修した方が良いかも?(笑)
さらに社内プロジェクトの見直しもしたようです。
まずは設計企画の見直し。多少妥協を含めたレンズを作っていたが、これを止めた。
妥協せずに良い物を作り、出来れば業界最高峰のモノを作る事に。
他社より劣る場合は却下という厳しい姿勢。
あとは、ゴーストフレアの自社開発。
逆光に弱いと言われるので、ゴーストフレアのみを担当者を置き、徹底的に対応した。
制作の段階で、何回もゴーストフレアのチェックを入れて、逆光の強さを補強した。
このように弱点を克服するばかりか、最高品質を目指すという徹底ぶり。
SIGMAが生き残った理由は、色々あると思いますが、山木社長の話を直接聞く事で
納得するだけでなく、感じる事も出来ました。
山木社長には、今後もぶれることなく、SIGMAの貴重な資産を活かして頑張って欲しいです。
社長の爪の垢パックでも売り出してはどうでしょう?飲ませたい社長がたくさんいます(笑)
というわけで、長くなったので、次回に続きます。
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